新暦と旧暦がズレているわけは?明治政府のせいだった
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新暦と旧暦は約1~2か月ズレています。
このことによって、イベントや行事なんかが、季節とちょっとズレちゃったり・・・ということになっています。
順を追って調べてみました。
暦は大きく3つに分類される
暦は、「太陽暦」、「太陰暦」、「太陰太陽暦」の3つに分けられます。
「太陽暦(たいようれき)」は、太陽の動きにより日を数えていき、太陽の周りを地球が一周するのにかかる日数を1年365日としています。
これは、季節に沿っている考え方。
「太陰暦(たいいんれき)」は、月の満ち欠けのみにより日を数えていき、新月から次の新月までの29日~30日間を1か月としています。
この場合、太陽の周りを地球が一周するのにかかる日数が354日か355日に。
季節とは関係ないため、どんどんズレが起こっていきます。
「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」は、太陽の動きも月の満ち欠けも両方を組み合わせてつくられています。
月の満ち欠けの周期が29.5日なので、太陽の周りを地球が一周するのにかかる1年の日数が354日か355日に。
そのまま月日が経つと、季節に対して1年に約11日ずつ前にズレていきます。
1年365日よりも11日少なく、3年で約1か月のズレが・・・
これでは、実際の季節とのズレがどんどん大きくなっていくため、約3年に1回「うるう月」を作り、その年に1か月分を足して、1年を13か月にして季節を合わせることにしていました。
つまりその年は、1年が384日か385日になるということです。
明治維新後、世界基準に合わせるためにも、「太陽暦」に改暦することになりました。
改暦には別の理由もあったようで、当時の政府は財政が危険な状況だったため、うるう月を作ると1か月分余計に給料を払わなければならなくなることを避けるためともいわれています。
太陽暦にしても、1年が365.24219日(365日と5時間48分46秒)になります。
そのため、4年に1回、2月29日が作られ、この年を「うるう年」といいます。
2月に1日が足される形になるわけですが、それにしても、他の月よりも日数が少ないですよね。
なぜかというと、古代ローマの暦法が関係しているといわれています。
古代ローマでは、2月が1年の終わりの月と考えられていたため、帳尻を合わせるためにそうなったといいます。
なんか納得です。
現在の新暦は、太陽の周りを地球が一周する周期を1年とした考えの暦です。
これは、太陽暦である、古代エジプトが始まりのグレゴリオ暦です。
現在の太陽暦に改暦するひとつ前に使っていた暦のことをさして、旧暦といいます。
新暦と旧暦のズレの正体
明治5年(1872)12月2日までは旧暦でしたが、12月3日を明治6年(1873)1月1日として、新暦に改暦しました。
つまり、明治6年1月1日の前日は、明治5年の年末日ではないということです。
明治5年の12月3日~年末の数日間はどこに行ってしまったのでしょう・・・
なんにせよ、中途半端なときに「太陰太陽暦」から「太陽暦」に変わりました。
このことにより、新暦と旧暦の間にズレができてしまったというわけです。
約1か月~2か月くらいのズレが起きています。
『・・・ん?何で1~2か月なの??』
そう、現在の常識から考えると、ズレは12月3日~31日の29日間ですよね。
ですが、ここで「うるう月(13月)」がからんでくるんですよ・・・
明治5年は、先に書いた「うるう年」の年、つまり、1年が13か月ある年だったんです。
つまり、明治政府は、中途半端なときに新暦に替えることによって、1か月分多く給料を払う必要がなくなったわけです。
結論として簡単にまとめると、
<新暦>
太陽の周期に合わせて、
春は3月~5月、夏は6月~8月、秋は9月~11月、冬は12月~2月。
<旧暦>
二十四節気から分かるように、
春は1月~3月、夏は4月~6月、秋は7月~9月、冬は10月~12月。
おわりに
最初は、この一連の流れが意味不明だったのですが、調べて行くうちに、
『ほーほー(・o・』
『なるほどね(=▽=』
と、やっと理解できてスッキリしました。